データで振り返る口蹄疫対策(2010年 宮崎) その50 都農町
今回の図表(pdf)はこちらからどうぞ。
Photo(Top): Isla Bartolome, Galapagos (バルトロメ島/ガラパゴスカッショクペリカン/ガラパゴスアメリカグンカンドリ)
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今回は、都農(つの)町での感染拡大と終息について振り返る。
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1.都農町の農家数と飼育頭数
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4/29に宮崎県が公表した数字(「100429_Kosuu.pdf」をダウンロード )(おそらく2010年2月の数字)によると、
都農町での農家数と飼育頭数は下の表のようになっている。
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一方、ワクチンを含めた最終的な殺処分数(読売新聞調べ)は、
農場数193、頭数16,207(全ての合計)となっている。(戸数がだいぶ少ないが、理由はわからない。)
この頭数には山羊や羊、イノシシなども含まれるので、牛と豚の正確な数字はわからないが、
とりあえず推計値として、
■牛飼養農家 185戸、 牛 4,000頭
■養豚農家 6戸、 豚 12,000頭
■その他 2戸、 その他 207頭
として、以下の話を進める。
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(11/19追記) 橋田 和美 『畜産市長の「口蹄疫」130日の闘い』(書肆侃侃房)によると、
都農町のワクチンを含めた殺処分頭数(7/18)は,
牛 4,828頭、豚 11,301頭、その他 78頭、合計 16,207頭 (農場数は不明)
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2.発生例一覧
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元データ(xls)はこちら: 「100716_FMD_Miyazaki.xls」をダウンロード 「市町別」タブを開いて下さい。
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右端の「処理日数」のバーチャートを見てわかるとおり、
都農町では、おおむね素早い殺処分が実行されていた。
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感染確認から殺処分まで1週間以上を要したのは3例(No.247, No.249, No.251)しかない。
ただし、この3例の頭数が多かったわけではない(牛13頭、牛5頭、牛26頭)ので、
おそらくは埋却地の確保に苦労したのだろう。
マップ(後述)を見ると、No.247とNo.249は、市街地の近くにあることがわかる。
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下のグラフは、擬似患畜頭数の推移。
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グラフのの上端が全頭数(推計値)。
牛も豚も、おおむね45%が擬似患畜として殺処分。残り55%がワクチン接種後に殺処分された。
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3.発症日と規模
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もともと肥育農家6戸、養豚農家6戸しかなく、数の上ではほとんどが小~中規模の繁殖農家。
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No.6, No.1も山の中にある農場で、都農町の最初の発生はこの2つでいったん終息し、
No.48以降、新たに川南町からウイルスが再侵入した、と考えていいだろう。
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No.248は、豚4,837頭の大型農場だが、この農場は山の中にあり、最も近い感染農場から1.5km
離れている。この農場の感染ルートは何だろうか?
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No.153(5/18)は、飛び火的に離れた、日向市に近いところでの発生。
(No.153の10km圏は、ワクチン範囲に入れられなかった。)
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4.5月末の感染急増、そして終息
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下のグラフは、片対数表示による、発生例数の推移。
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5月の中旬から下旬にかけて、指数的に急増し、6月上旬に急に終息した。
最終の発生は、6/5(275例目)である。
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都農町には、まだ半数以上の家畜が残っていたので、この急速な終息は、ワクチンの効果による
と考えるのが妥当だろう。
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ところで、5/29まで、素早い殺処分が実行されていたにもかかわらず、指数的な急増を
招いたのはなぜだろうか?
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(仮説1)「素早い」と言っても2~3日の殺処分では不十分で、発見の遅れた例もあるだろうから、
感染拡大の連鎖を引き起こしていた。
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(仮説2)都農町では、隣接した川南町の感染農場から、常にウイルスの攻撃を受けていた。
川南町での「指数的増大」が、少し遅れて、都農町への攻撃の「指数的増大」を呼び、
感染数の指数的増大を招いた。
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上のグラフは、川南町の発生数と、都農町の発生数の推移を重ねたもの。
川南町より1ヶ月ほど遅れて感染急増が起こっているが、グラフの傾きは川南町より緩い。
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個人的には(仮説2)があっているような気がするのだが、それならば、もう少し早く感染急増が
起こってもいいように思う。
伝播がハエによるところが大きいとすれば、この遅れも説明できそうだが、真相は分からない。
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5.もしワクチンを接種しなかったら…
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もしワクチンを接種しなかったら、都農町ではどうなっていただろうか。
あくまで仮定の話だが、このまま感染が増大し、全家畜の85%が擬似患畜となるまで急増が続いたとする。
(参考: 川南町では、最終的に全家畜の92%(頭数)が擬似患畜となった。)
全家畜の85%は、牛3,400頭、豚10,200頭にあたるので、
擬似患畜数は、牛1,554頭、豚4,519頭増えたことになる。
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仮に6/10までに、これだけの頭数が増えたとしても、「埋却地さえ見つられれば」殺処分が
極端に遅れることはなかったはずだ。(殺処分に苦労するほどの頭数ではなかった。)
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そう考えると、北側(都農町、日向市)に関しては、ワクチンを使わずとも押さえ込みは
不可能ではなかったように思う。(南側は、難しかったかもしれない。)
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但し、日向市の284例目のような「飛び火」はもうすこし増えただろう。
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「口蹄疫...現役養豚家の考え」のブログで、Cowboyさん(えびの市の繁殖農家)が、
「周辺部では家畜の密度が(川南町より)低いので、ワクチンを使わなかったとしても、
同時期に終息できたのではないか?」という問いを投げかけている。
当時の正確な状況は不明なので、誰もこの問いに正しく答えることはできないだろうが、
つらつらと考えると、「埋却地がスムーズに見つけられるかどうか」が勝負の分かれ目では
なかったかと思う。
今回の埋却地の問題について、具体的な詳しい報告がなされるといいのだが…。
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6.感染拡大の様子
(図はクリックで拡大。Google Earth 地図を含む図は転載禁止。)
農場の位置は推定によるもので、誤差があります。 その他の図は「その46」にあります。
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No.48(5/7)で再侵入。 しばらくは散発的な発生。
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No.153は飛び火的な発生。
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5/29-5/31の3日間で9例の発生。続く3日間で5例の発生があった。
No.248は、山中にある大規模養豚農場。
No.247, 249, 251 は小規模農場だが、殺処分まで1週間以上かかっている。
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6/5のNo.275で終息するが、このあと6/10に、日向市の飛び火(No.284)が発生した。
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(10/20追記)必読
池亀 康雄 「宮崎県口蹄疫発生第6例目(水牛農場)に遭遇した臨床獣医師からの報告」
(「日獣会誌 63」 p.737 ~ p.739 (2010) PDF 337KB)
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(アクセス解析)
口蹄疫について論じているブログも少なくなってきました。
今は当ブログのアクセスも少ないですが、発生中のアクセスは、下表の通りでした。
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(おまけ)
「東京食肉市場まつり」(10/16-10/17)に行ってきました。
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試食コーナー(無料)はどれも長蛇の列です。
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「お肉の情報館」の廊下にあった張り子の豚。
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牛肉切り落としは、1キロパックが1,000円!
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こちらの常陸牛肩ブロック(値札5,200円/100グラム当たり1,200円)
は、4,000円にまけてもらいました。激ウマです。
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お知らせ>本日の図表は、pdfを含め、無断転載を許可します。
但し、 1.引用元の表記をお願いします。 2.無断での改変は厳禁です。(サイズの変更はokです。)
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コンタンです。ごぶさたしています。東京もすっかり秋です。(この写真は転載禁止です。)
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明日(10/19)の「第12回 口蹄疫対策検証委員会」 合同会議出席者
http://www.maff.go.jp/j/press/syouan/soumu/101018.html
○ 宮崎県口蹄疫対策検証委員会委員
宮崎大学工学部 原田 隆典 教授
宮崎大学農学部 堀井 洋一郎 教授
○ 宮崎県庁内調査チーム
宮崎県 県民政策部 総合政策課 永山 英也 課長
宮崎県 総務部 行政経営課 大坪 篤史 課長
宮崎県 総務部 危機管理課 金井 嘉郁 課長
○ 宮崎県庁内調査チーム 農政水産分科会
宮崎県 農政水産部 押川 延夫 部次長
宮崎県 農政水産部 畜産課 児玉 州男 課長
投稿: コンタン | 2010年10月18日 (月) 16時09分
ウロンコロンさんのドキュメンタリーの再放送があります。
ドキュメント20min 「ブログにつづった口てい疫」
http://www.nhk.or.jp/20min/onair/20101004.html
10月23日(土) 午後4:00~4:20 NHK総合
投稿: コンタン | 2010年10月18日 (月) 16時13分
何人かの方が、5月上旬の段階では、防疫体制が不十分だった(公的にも、各農場でも)ために、感染が拡大したが、
5月中旬以降、防疫体制が確立するにつれて、感染拡大が抑えられて来た、と書いている。
それは、本当だろうか? それならばなぜ、都農町での感染急増が起きたのだろうか?
投稿: コンタン | 2010年10月20日 (水) 12時34分
都農町は、「感染経路を独自に検証して、報告書を作って配布する」 としていたが、それは実行されたのだろうか?
http://www.the-miyanichi.co.jp/special/kouteieki/index.php?id=763&paging=39
投稿: コンタン | 2010年11月 5日 (金) 19時48分